アイザック・ディネーセン「アフリカの日々」
これは1985年に公開されたアメリカ映画「愛と哀しみの果て」(主演ロバート・レッドフォード メリル・ストリーブ )の原作である。ロバート・レッドフォードのファンだった私はアカデミー賞を7部門も受賞したこの作品を期待して観に行った。けれども内容は単なるラブストーリーで背景にアフリカの自然があるというだけの映画だった。我が愛するレッドフォードはただそこに立ってほほえむだけの二枚目を演じていた。この映画が何故アカデミー賞なの?理解に苦しむ私に「原作はこんなもんやない」という人がいて、私は500ページにわたる長編に挑んだ。アフリカの大自然は何度も映像で見るが、そこで暮らすアフリカ人の姿は新鮮だった。そのいきさつを思い出して、また読みなおした。
著者はカレン・ディネーセンというデンマークの女性だが、ペンネームには「アイザック」という男名前を使っている。カレンはアフリカ ケニアに渡り、ンゴング丘陵のそばで農園を経営した。その農園で起きた出来事を通して、キクユ族、マサイ族などの土地の人々との交流、人間像、そして悠然とサバンナを渡っていく動物の姿、刻々と変化するアフリカの雄大な風景を文章に記録した。最初に出てくるのはキクユ族のカマンテである。やせこけたこの子の脚にはふとももからかかとまで走る深い傷があり「これほどの苦痛がこの小さな一点に集中しているのが奇妙に胸にこたえた」カレンが傷の治療をしたことがきっかけとなってカマンテはカレンの家で働くようになる。働かせてみるとカマンテは非常に頭のいい有能な少年だった。とうとう彼は農園の料理主任になった。彼の黒いゆがんだ手からすばらしい味のマヨネーズやソースが生まれでた。芝生の雑草取り用シャベルを使って卵の白身を雲のように泡立てた。字が読めないカマンテは大変な数の料理法をそらで覚え、覚えた料理の名前には覚えた日の出来事をつけた。「樹に雷が落ちたソース」とか「灰色の馬が死んだソース」とか。カマンテには西洋料理の味がわからない。しかし、どういうわけかカマンテの料理は絶品だった。カレンは白人の食通を夕食に招待して試してみたが、誰もが料理のおいしさを絶賛し、カレンの食卓は土地の白人達の間では有名になった。英国皇太子が訪問した時もカマンテの「カンバーランド・ソース」は皇太子からお褒めの言葉をいただいた。カマンテは「こんなもんのどこがおいしいの?」と思っている風であったが、その料理人としての腕はヨーロッパの一流シェフにも負けないもので、ほとんど名人の域に達していた。このことはカレンにとっても不可解だった。
カレンは誇り高い女性だった。そして彼女はアフリカ人の誇りの高さにも敬意を表し、彼らが未開の民族であると切り捨てない。アフリカ人の中に淑女を見出し、老族長にヨーロッパ人と同じ人間としての威厳を感じて丁重にもてなした。それはサバンナの王者ライオンに対しても同じだった。農園の家畜を荒らすライオンを毒殺するより、ライオンに対峙して射殺する道を選んだ。
しかし、さまざまな事情から農園の経営はたちゆかなくなり、農園を手放す時がきた。カマンテやファラなどカレンに仕えてくれたアフリカ人との別れ、アフリカの大地との別れ、その悲しみを胸に秘めて農園の残務整理に明け暮れる日々、
「アフリカの日々」は「自伝文学の白眉」といわれるが、訳者横山貞子氏によると、事実とは異なる部分も多くあるという。そもそもカレンは結婚してアフリカへ移住した。しかし、「アフリカの日々」には一人で考え決断する女主人の姿が描かれていて夫の影は全くない。この結婚に愛を見出すのは難しく、カレンは「ブリクセン男爵夫人」の称号を得ただけだった。皮肉なことにカレンはこの結婚で性*病をうつされ生涯悩まされることになった。
アフリカを去る前に離婚が成立するが、デンマークに帰ってからもカレンはなぜか「ブリクセン男爵夫人」と名乗ることをやめなかったという。
映画でレッドフィォードが演じたデニス・フィンチ・ハットンはサファリとサファリの間に、港にもどる船乗りのようにカレンの農園に帰ってくる友人だ。デニスの飛行機に乗って二人はアフリカ飛行を楽しむ。デニスは飛行機事故でこの世を去りふたりの交流も終わる。しかし、横山氏によるとふたりの別れはデニスの死以前にあったのだという。
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